Sea-Birdさんより −−俺とバニーガール−− 今は宮古島に移住しているが、 当時住んでいた横浜で初めてバニーガールと出会った。 俺の高校時代、まだホール側もモーニングを盛んに入れ、 開店のBGMも軍艦マーチだった頃、 学校をよくサボっては3〜4人の仲間とホールに通っていた。 当時はスーパープラネットがホールを席巻していて、 4号機の導入が始まった時期であった。 俺も仲間と共にスープラやニューパルのモーニングをGETするためによく並んでいた。 所謂、ウザガキというヤツだった。 ある日、他のシマを見回っていると見知らぬ台が並んでいた。 それがバニーガールだった。 その時に打った初めての印象は、正直意味が判らなかった。 バニーを打ってる客の打ち方を見ながら打ってはみたものの、 スープラのようには中々いかない。 そうこうしている内に何千円か突っ込んでコインも無くなりかけた時、 イキナリ7が揃って仲間でビックリした。 「マジかよ!意味わかんねーけどスゲーっ!」 「超ビビッたんだけど!」 この生入りしたBIG時のファンファーレは今でもハッキリ覚えている。 競馬もやってた俺にとって、BIG中に流れる草競馬のBGMも嵌った。 今現在のスロットの中でも、一番印象に残っている。 まさに『 DEEP IMPACT 』! この日からスープラに加えてバニーガールも打ち続ける日々が続いた。 バニーをよく打つ常連との情報交換でバニーの知識も身に付けた。 ハサミ打ちのアツさや、バケ後の青りんごも。 そして、モーニング判別が容易なことも。 収支という点ではあまり良くなかったが、それでも打っていた。 しかし、時は日々変化するもの。 俺がバニーを打ち始めて1ヶ月くらいだろうか。 一番楽しい時に、バニーは突如として新台入替で次々と姿を消す。 次第に時代は、ニューパルなどの4号機が席巻するようになっていた。 いつしか、俺の中でバニーガールという存在が幻となっていった・・・ ・・・数年後 俺は某医療機関に就職するため、宮古島に移住していた。 住み始めた当時もサンダーVやアステカの沖スロバージョンを始め、 それにトリプルクラウンやレキオ、フェニックス、アペックスショットなどの オリジナル沖スロも打ってはいた。 が、宮古島にもAT機やST機が導入が始まった頃には パチスロとは殆ど縁がなくなっていた。 たまに打ってはいたが、それも仕事帰りで勝っても負けても飲みに行ってた。 休日を削ってまでは打たなくなっていた。 2005年1月・・・ そんなある日、友人達と飲んでいるときに 「たまには内地(本土)に遊びに行くか?」と誘われ、それに自分も同意した。 場所は以前お世話になったドクターがいる関西方面に決まった。 関西には何があるのだろう・・・ 色んなスポットを探そうとするが、 当時の宮古島のネット事情の悪さも手伝って 中々いい情報が探せるというわけでもなかった。 仕方なく職場のクソ重たいPCで探したり、 自分のケータイで探すうちに、何故かP-WORLDを見ていた。 「宮古島では打てない、珍しい台があったらいいな。」 そんな思いで大阪、神戸などの店の情報を色々調べていた。 そして、見つけてしまった。バニーガール設置店を・・・ それからというもの、色々とスケジュールを立てていた。 打ちたい台がある店を1日でどうやって回るかを。 店の情報から店までのアクセス、それに電車や地下鉄の路線図や時刻表を調べた。 宿泊地である梅田からスープラ、ニューペガサス設置店を回り、 そのあとでバニー設置店へ向かう。 決戦当日までが非常に待ち遠しかった。 2005年3月某日・・・ 俺たちは梅田にいた。 たこ焼きやお好み焼き、とにかく旨いモンをたらふく喰い、 もちろん酒もたらふく飲んだ。夜の蝶と戯れたりもした。 明日はいよいよ決戦のときだ! 翌日、スケジュール通りに朝6時に起床し、7時にはホテルを出発。 朝5時近くまで飲んだせいか、二日酔いだが気力で一人ホテルを後にした。 スープラ、ニューペガサス設置店で戯れた後、 次はいよいよバニーガールだ バニー設置店の最寄り駅に到着し、ケータイで見る地図を頼りに店を探す。 しかし、広がる風景は次第に街並みから住宅地に変化していった。 店も見つけられず、完全に迷っていた。 久々の都会、しかも見知らぬ土地で場所も知らない店を探すのは やはり無謀というべきか。 暦の上では春だが、沖縄と比較すればやはり寒い。途中で雨も降ってきた。 かれこれ1時間半は歩いただろうか。 前日(?)の酒と睡眠不足の影響で、非常に体調もよろしくない。 さすがに歩き疲れて一休みしようと辺りを見渡すと、 運送会社が視界にに入った。 (ここは聞いたほうが早い。下手すりゃバニーを打つ時間もなくなっちまう。) 運送会社の方に設置店の場所を尋ねる。 「知っとるでぇ。なんなら送ってやろうか?近くに用事があるから。」 本当に神の声に聞こえた。あの時の運転手さんには本当に感謝しています。 俺は運転手さんに宮古島から来たことを告げると、2人でビックリしていた。 運転手さんが宮古島出身だったからだ。 尼崎には宮古島出身の人が多いと聞いてはいたが、まさかこんな形で会えるとは。 俺は運転手さんと宮古島のことなどについて談笑していた。 20分くらいだろうか。ようやくバニー設置店に到着した。 「頑張れよ」 俺は運転手さんに何度もお礼を言い、車を見送った。 (さぁ、ついにバニーが打てる。) 高ぶる気持ちを抑え、店内に入る。 入り口近くに名前は知らないが凄い台が鎮座していた。 その台を見ながらスロットのシマに入る。 そしてシマを半分歩いたときだ。 奥のシマの右側に、古いながらも神々しく光る7台のバニーガールが。 バニーのシマは4人座っていた。 (よし、空いている。) 真ん中辺りの台をキープし、5万円分を千円に全て両替し、 キープしたバニーに一礼して着席。 そして、コインを入れてレバーON。 そのとき、音が鳴らないのに気付く。 すぐに台移動し、また一礼して着席。 (よろしくお願いします。) 心の中でそう呟き、コインを投入。 今度は音がちゃんと鳴る。 ついに、舞台は整った。 今日は時間の許す限り、打ち続けよう! 舞台の幕は上がり、過去の記憶を頼りに打ち始める。 ハサミ打ち、ズレ目、バケ後は青りんごを狙う。 最初はそんなことを思い出しながら打っていたが、 次第に高校時代の懐かしく、楽しかった記憶も甦る。 あの日、突然俺の前から姿を消したバニーガールを 十数年の時を超えて今、俺が打っている。 このとき、本当に久々に泣いた。 そんな思い出に浸りながらバニーの挙動を楽しんでいると、 それを打ち消す出来事が起きた。 突然のファンファーレ。 そういえば、バニーのファーストボーナスもこんな感じだった。 何かの因縁なのだろうか。俺の十数年ぶりのボーナスも生入りとは・・・ 俺も驚いたが、隣の客も当然の如くビックリしていた。 ファーストボーナスを消化後、フルーツゲームだ。 5ゲームか、60ゲーム続くか、緊張しながらレバーON。 運命の6ゲーム目で小役が揃う! しかし、これは偶然に小役当選しただけで次ゲーム以降は やはり小役が揃わず。 このあともズレ目やファンファーレなどを堪能し、 BIG8回、バケ3回の計11回のボーナスを引くなど、 素晴らしき時間が過ぎていた。 しかし、この夢のような時間もいつまでも続くわけじゃない。 ふと後ろを見回すと、バニーのシマの様子を伺ってる客もいた。 俺のようにバニーを打ちたくて、はるばる遠方から来た客もいるのだろう。 友人たちの合流時間もいい頃だ。 バニーを打ちたそうな客に席を譲り、換金して店を後にした。 ちなみにスープラの負けを回収するほどの勝っていた。 こうして、俺のシンデレラタイムは終わったが、 大阪のミナミで旨いモンをたらふく喰い、 ドクターの奢りで北新地にて店を貸切り、 2ndシンデレラタイムに突入したのは内緒だ。 素晴らしきバニーガール。 あの時の感動をありがとう! そして俺は、その名機を後に手にすることとなる。 −−−−−−−−−−終わり−−− |
たけぞうさんより 十年以上も前の古い話になりますが、茨城にいた頃に県北西部で偶然バニーと再会した時の事は今でも忘れられません。 あの時は確か副業で出掛けた群馬から家に帰る途中の事だったと思います。 初めて通る道で、偶然見つけてふらっと立ち寄ったショボくれた感じのその店にずらりとならんだ純白のバニー。 閉店まで一時間程しかない中で、運よくビッグを一本引きしてケツ浮き。 終了後にリセットの為に急いで店員さんを呼ぶ。 と、ニコニコ顔で下皿に向かって上部からぶら下がっていた謎のペンダントスイッチ状のひもを遠くから指差す店員のおじさん。 『あぁ!。』と苦笑してリセットし、5G後の連ビッグで再度ケツ浮き。 リセット即F-60。 F中に連ビッグで歓喜&ケツ浮き。(揃えちまったのは内緒の方向で。) その調子で閉店までになんと時速2000枚!!当時主流の七枚交換ではありましたが。 帰りには店の看板も消されており、快勝に浮かれてしまった為か店名も詳細な場所もうっかり失念。 後日記憶を頼りにその店を探しまわったものの結局見つからず終いでした。 そして昨年末、十年以上もの時を越えてバニーと感動の再会。 バニーってばやっぱり最高でした。 |
ロプさんより 僕とバニーの出会いは高3の冬。新装でパルサーXXと入替で! 当時はひたすら上下段にボーナス絵柄が止まったら狙うだけでした。 あれから16年、名古屋に残る最古のスロであろうバニーと改めて向き合うと…打つたびに新たな発見が! F鐘チェ狙いからの溢しなしは鉄とか、Fオ☆のはさみ上段Fビタが鉄だとか… 打つたびに発見出来る喜び!スロ本来の打ちながら自分で楽しみを探れる。 いやぁバニーって本当に素晴らしい! |
asaさんより asaさんのアツい思いはこちらへ |
akiさんより 自分はBunnyは切れ目を狙い続けていた為 リ−チ目はあまり出した事はありません。 だけどいつ777が揃ってあの音が鳴り響くか わからないので、左リ−ル上下段に7が止まった時は 毎ゲ−ムドキドキしながら中・右を慎重に狙ってました。(笑) 最近になってズレ目の熱さがわかってきました。 近々半年振りに茨城県某店に訪れる予定です。 バニ−を打った後は、今でも親指痛いです。 (普段は人差し指で打つけどバニ−は 意識して親指打ち) |
クルタローさんより 私もバニーはかなり打ち込みましたので、結構思い入れがあります。当時私はバニーよりもっぱらリバティーベル3を専門に打っておりました。 私の友人がそれを見て、そんな頭を使わない台なんかつまんなくて打ってられないよと、いう一言で(その友人は現在ジャグラーしか打たない人間になってしまいましたが・・・(爆)) 奮起してバニーを打ち始めたのを覚えています。忘れもしない初ビックは、札幌の謀店でたった1本の投資で上段に何気なくテンぱった7をねらったとき、 けたたましいファンファーレと共に7が揃ったのを思い出します。あのファンファーレは入ったのがわかってそろえるときですらドキッとするのに、生入りで揃ったときはほんとケツが浮きますよね。 バニーのいい所は、どこから押しても楽しめる事ですよね。順押しはもちろん、中押し、更にはハサミ打ちなんかはかなりあつかったですよね。 現在では、全然珍しくない変則打ちですが、当時はバニーで変則打ちをしている人をみかけると、妙に玄人っぽくてあこがれたのを???思い出します。 スーパーバニーは結構見かけるのですが、バニーは絶滅に近づいております。最後に打ったのは、2年くらい前に白河市の町の中の(店名は忘れてしまいました)古びたお店です。 客は2−3人くらいしかいなかったのですが、2万位勝ってしまったので申し訳なさげに両替しました。この永遠の名機が末永く残る事を心よりお祈りしております。 |
HAISAI!さんより バニーが現役であちこちのホールで稼働していた頃は、ちょうど パチスロを始めた頃でした。私の行動の範囲内でバニー設置店は一軒だけで、 お世辞にもよく出るとは言えなかったので実際打ったのは10回ほどです。 それほどのしか打ってないのに、これほど好きになれる台はバニーだけです。 バニーは素敵です。何がそんなに素敵か。 連チャン性リーチ目を含むすべてのゲーム性、デザイン、サウンド(特に777ヒット) は、もちろんのことです。 でも私が素敵に思うことは、クレジットオフをオンにする方法が気づきにくいこと。 わたしだけですか? はじめの頃はずっと私だけ手入れでプレイしてました。 最近、白河市の設置店に行った時も忘れていてずっと考えてました。 クレジットオンのボタンはどれだっけ・・・。 まぁ、そんなわけですが私もぜひこの名作が復活する事を祈ります。 ゲーム化。リニューアル。あのサウンドをあらゆるホールで聞きまくり! |
たらばさんより ”バニー復活” ん〜いい響きですね〜 私もバニーについては思い入れが多々御座います ズレ目 集中 筐体のデザイン なんと言っても 揃った瞬間にジュースをこぼしてしまわんばかりの ファンファーレ どれをとっても言う事なし!! ホント大好きです 好きが講じて実機も購入しました と言うのも我が宮城ではここ1年程で3件のバニー設置店が ご臨終になってしまいました ちなみに赤、白、白(涙 一番近いところでは副嶋のアノ店だけになってしまったのです 分かる人には分かるのですが、あそこも長い事ないでしょう そこで皆さん、バニーは必ず一回は打っておきましょう たとえそれがお布施になろうとも どんなに遠くとも・・・ あのファンファーレの迫力は実際打ってみた者にしかわかりません とくに4号機から始めた方・・・ 今までなかったような快感が味わえる事でしょう・・・ どうしても近隣に設置店がない方 宮城までくるガッツがあるなら我が家にて 初代兎(赤)2代目兎(緑) コンチV(赤) 設定6にてお待ちしております |
ビーナスライン2000より バニーと出会ったのは、11年くらい前。。。 まだ学生で、ちまちま羽根モノを打ち、たまにデジパチ・・・ドリームXとか、パニックコスモU・・・とか打ったり していたんだけれど、パチスロに対して興味はあったんです。。。ただ、貧乏学生にとって1000円札をサンド(と言っても台間ではなく、島の外れに・・・両替機みたいな感覚で・・・置かれていたメダル貸し機だけれど) に入れると言うのは勇気の要ることで(笑)、なかなか踏み出せないでいたんです。。。 とある日、何故か少しお金に余裕があったので、勇気を出して、1000円札をメダル貸し機に投入しました。。。 その台の名は・・・フラッシュ(ニイガタ電子)・・・でした。。。すいません。。。バニーじゃないんです。。。 それで、3連荘だかして、パチスロって面白いって結論に至りました。。。 それからは、あちこちの店で色々な機種を見て、ジャンプ(バルテック)に嵌り、(後々も打ち込みました)アニマルG(アークテクニコ)と戯れ、 そして、バニーガール(オリンピア)に出会ったのです。。。 更には、本格的に研究しようと思っていた矢先に、パチスロ必勝ガイドという本にめぐり合ったのです。。。この時はまだ、パチンコの方と同じサイズで、第3号と 書いて有りました。。。その雑誌には、パチスロの遊び方など、自分にとってタイムリーな記事が載っていたため、速攻で買い、読みふけりました。。。 基本的な仕組みを知り、バニーガールの記事も多く出ていて、バニーガールに関する知識が増えたため、 学校の帰りに、バニーガールを打つことが多くなりました。。。(お金がない時はスーパービンゴ(平和)(笑)。。。有り金無くなったら、胡麻塩ご飯でした(爆)。。。) 出目にしても、出方にしても、今でも色褪せることなく通用するゲーム性。。。文章の下手な私には、表現しきれません(爆) あのファンファーレも、凄く良かったし(本当に椅子から落ちたオヤジとか居たし!嘘じゃないよ。。。)、デザインだって、今でも見劣りしない。。。今のヘボい4号機と比べたら、間違いなくバニーガールの方が優秀な機械だ。。。 ある意味、(ロクな新機種が出なくて)哀しくなってしまう。。。それくらい、バニーガールは素晴らしい。。。 適度に出るズレ目。。。小役の集中に至っては5プレイ、60プレイの2種類あるから、いきなり小役が落ち出したら、プレイ数を数えはじめたり。。。小役が落ちはじめて、6とか7プレイ目が とってもアツかった(笑)集中の時は2ゲーム続けて外れるってことが少ないので、6ゲーム目が外れても、7ゲーム目に期待してしまう・・・煽られまくってました(笑) ボーナスの連続性も高かった。。。今となっては、それがノーマルだったのか、裏だったのかは分からないけれど、わざとらしい連荘ってわけでもなかったので、ソフトが優秀だったんだと思います。。。 あの素晴らしさは、是非、知らない人たちに体験してもらいたい。。。 そういう意味でも、ゲーム化が実現して欲しいと思う、今日この頃。。。 |